11月12日(日)は、
山梨市駅前にある
『街の駅 やまなし』で行われた
第17回「いい駅前どっと混む!祭り」でした。
11:00〜 と14:00〜の2回
「甲州戦記サクライザー ショー」がありました。
ショーの内容は、
今年は柿が不作で
魔玄一族が
枯露柿を作るために
超常現象対策課の畑から柿を奪うというものでした。
枯露柿作りが魔玄一族の資金源というのが……
なんとも云えないですね。
”ころ柿”を漢字で書くと「枯露柿」と書きます。
『枯露柿』というのは『甲州百目柿』という大きな渋柿の皮を剥いて
天日干ししたもので、
要するに”干し柿”です。
博士「良い季節がやって来たな!!昔の人の知恵とは凄いものだ!!みんな知ってるかな??コロガキに使う柿はもともとは渋柿なんだ!!その渋柿のタンニンという渋み成分が変化して甘くなる・・・誰が発見したのか分からんが科学者として感動してしまう!!」
欠点を長所に変えるーーー人間の知恵を感じますね。
”ころ柿”の名前の由来は、
柿を乾かす時まんべんなく陽が当たるようにころころ位置を変える作業をることによるといわれています。
武田信玄公の時代に奨励され、
美濃国(岐阜県南部)から蜂屋柿を移植して増産を図ったとのことです。
実際には、
山梨市というより、
甲州市のイメージの方が強いようですが、
『街の駅 やまなし』の裏のお宅のベランダにも
オレンジ色の「ころ柿のすだれ」がありました。
時節柄、
「ころ柿」ネタをやりたくなりました(笑)
特に”ころ柿”で有名なのが、
甲州市塩山松里地区。
気象条件が適していることなどから、
甲州百匁柿(こうしゅうひゃくめがき)を中心にころ柿作りが盛んで、
11月から12月にかけて民家の軒先に吊された「ころ柿のすだれ」は、
甲州を代表する風物詩です。
集落のあちこちのお宅で、
軒先にぶら下がった干し柿の暖簾を見る事ができます。
専門の農園もありますが、
自分の家で採れた柿を干しているお宅がいっぱいあります。
だから、柿が干してある隣の部屋の窓には洗濯物が
・・・なんていう光景も普通です(笑)
写真:ともさん
「サクライザー ショー」。
この日の魔玄一族との「綱引き」は苦戦しました。
気が付くと、
伸太郎さんが加勢してくれました。
伸太郎さんは体育会系の血が騒ぎ、
本気モードでした。
後で聞いた話では、
”足がつった”そうです。
子どもたちの頑張りと、
そんな伸太郎さんの活躍もあり、
超常現象対策課チームが勝利することができました。
この日はイベント終了後に、
病気で入院しているサクライザーファンのお見舞いに
チームのみんなで行きました。
もちろん、サプライズで(笑)
今日も
ひとつひとつの出会いが得難い
「生命の栄養」になりました。
伸太郎(1974年6月17日 – )は、日本の男性シンガーソングライター。山梨県甲府市出身。血液型O型。左利き。
中学3年生で学園祭デビュー。休み時間には同級生と共にギター片手に熱唱していた。山梨学院高等学校では野球部特待生として所属したが甲子園出場経験はない。山梨学院高校野球部コーチ時代、甲子園出場時の球場練習にて、ノックでセンターバックスクリーンに3連発。阪神タイガースのバース・掛布・岡田以来の3連発だと野球雑誌にても取り上げられた。
野球部寮生活の中、弾き語りライブをしていたところを、当時の鈴木監督に見い出され、ヒットメーカー阿久悠に引き合わせた。卒業後、音楽の勉強をしつつ母校の野球部コーチに就任。1994年コーチとして甲子園出場。3年間のコーチ生活の後、長崎歌謡祭に出場し、サンミュージック相澤秀禎からスカウトを受ける。ストリートLIVE、1999年には年3回のホールワンマンLIVE、自主制作CD「GET YOUR DREAM」発売等、本格的に音楽活動を始める。この頃からラジオパーソナリティとしての活動も始めている
「桜座スクエア」(2009年)連載
伸太郎ISM、伸太郎×山梨フォーク村、伸太郎の直球勝負!!