ビバ!山梨の小正月 道祖神

ビバ!小正月。山梨のある集落では、小正月には、藁(わら)でお小屋が作られる。その日その中では、襲っても良いという風習があった。

「すみません、何を襲っても良いんですか?」。

分ってはいたが、その話を聞いて、思わず聞き返してしまった。聞き返さずにはいられなかった(笑)定住人口対策、まさに、先人の知恵だな~

ビバ!小正月。小正月に山梨のある集落に藁(わら)で作られるはお小屋には、巨大な男性のシンボルが突き刺さっている仕様になっている。

その意味を分っているのか、いないのか。子供たちの手で、それは作られる。こうして、地域の文化は伝承される。

ビバ!小正月。そんな話をするとーーー

「藁(わら)(で作られるはお小屋)だと、寒くね~」

と心配する方がいましたが、寒いと”くっ付きたく”なるから、かえって良いのでは。ん、何が?まあ、火事だけは出さないでね。どんど焼きの本番で燃やすから。

ビバ!小正月。また、山梨のある集落では、小正月には、その日だけ女性はナニをしても良いという風習のあるところがあります。家事一切から解放され、襲っても良いし、お小屋の中で、女同士一晩中語り明かしても良いし……

山梨と云えば、『道祖神』。

この時期の山梨は、面白い。

普段は、気にも留めない様な道祖神が、

しっかりと”祀られ”、存在感を出しているからだ。

しかも、それは、一様ではない。

それぞれの地域で、代々受け継がれてきた個性が光っている。

昨年、ひょんなことから、

ロボズラーと探してみました。

山梨の各地の道祖神の様子

山梨県立博物館

シンボル展
よみがえる! 甲府道祖神祭り

平成30年1月2日(火) ~ 平成30年2月26日(月)

十一屋は、甲府柳町二丁目にあった商家です。近年、この商家の所蔵品から「甲府道祖神祭り」の祭礼用具が発見されました。
江戸時代、甲府城下では1月13日から15日にかけて、道祖神祭りが賑やかに行われていました。その盛大さは「当国一大盛事」とも評されるほど。しかし、祭りは明治初期に突如廃絶してしまいました。さらにその後の甲府空襲により、資料のほとんどが失われてしまったと考えられています。
こうしたなか、柳町二丁目の祭礼用具は奇跡的に戦渦を免れ、現在に伝えられました。展覧会では、新発見資料全29点と山梨県立博物館所蔵の幕絵2枚を一挙に公開します。146年の時を経て、豪華な祭りの様子がよみがえります。

江戸時代、甲府道祖神祭りは「当国一大盛事」と評されるほど盛大でした。甲府道祖神祭りが華やぎを極めた江戸時代後期、歌川広重などの有名絵師に描かせた幅10メートルもの長大な「幕絵」がおよそ数百枚、城下の各町を彩っていたと考えられます。このような祭りは、全国的に見ても非常にめずらしいものです。
また、祭りの祝儀金には誕生や成人、結婚、厄年など人生の節目が反映されたり、祭りの期間に道祖神が憑依する伝承が見られたりするなど、民俗的な側面も色濃く持ち合わせていました。近年の研究では、祭りに経済活性化の目的があったことも指摘されています。甲府道祖神祭りは民間信仰をベースに、都市祭礼として独自の発展をしていたのです。

新たな祭礼用具の発見により、祭りの場の調え方がより鮮明に浮かび上がってきました。さながら絵巻のような幕絵に加え、十一屋旧蔵の幟枠に見るように巧みな彫りを施した用具や、天を突くような幟旗、神殿、オヤマなどを往来に配し、華麗な祭礼空間が作り出されていたと考えられます。
豪華な用具は、町における日常(ケ)との連続性を遮断して覆い隠し、非日常(ハレ)の場を創出する演出としても非常に効果的と言えます。年に一度、「道祖神」の名のもとに日常から解放された甲府城下では、華やぎの中で高揚と陶酔に支配され、神の世界と人の空間とが交錯します。人と町は祭りを介して再生を疑似体験し、新たな一年を生き抜く活力を得たのでしょう。

明治5年(1872)11月、甲府道祖神祭りはあっけなく廃絶しました。山梨県令土肥実匡により「道祖神祭礼取締」の通達があったからです。
江戸時代にも度々禁止の対象となってきた道祖神祭りでしたが、明治初期のそれは神道の国教化や文明開化を目指す政府の意向によって実施されたものでした。そのため、他の多くの民俗も廃止に追い込まれました。旧城下の道祖神は神社に合祀され、祭りは、突然に幕を下ろされたのです。またこの年の12月に暦は新暦に改められ、人々は急きょ新年を迎えることになりました。
これだけの激変にも関わらず、生活自体が混乱することは無かったようです。明治6年(1873)の1月14日を、旧城下の人々はどのような思いで迎えたのでしょう。祭りを失った寂しさや戸惑いだけでなく、新しい時代の到来に対する希望もあったと信じたいと思います。