たまには、プロレスの話でも……

1月14日(日)、

全日本プロレス

「2018 ニューイヤーウォーズ」【最終戦】1.14甲府大会

アイメッセ山梨(甲府) 観衆512人(満員)

シングルマッチ

△ 岡田佑介      10分00秒      △ タナカ岩石
時間切れ引き分け

タッグマッチ

○ 青木篤志      4分32秒         B・タイガーⅦ
佐野直    飛びつき腕ひしぎ逆十字固め   × 丸山敦

3Wayマッチ

中島洋平       5分42秒
vs         メテオインパクト       ○ KAI
× 佐藤恵一     →片エビ固め

タッグマッチ

○ J・ドーリング    8分32秒        × 岩本煌史
佐藤光留    レボリューションボム       崔 領ニ

→エビ固め

世界タッグ選手権試合前哨戦 スペシャルシングルマッチ

○ 諏訪魔       16分39秒        × ヨシタツ

ラストライド
→体固め

㈱西井電設 presents 甲府大会スペシャル8人タッグマッチ

 秋山準       18分06秒        ○ 宮原健斗
× 吉江豊       ジャーマン         武藤敬司
ゼウス     スープレックスホールド    野村直矢
TAJIRI                    青柳優馬

武藤敬司 入場

今回は、

初めてのリングサイド最前列での観戦でした。

後ろの席の御家族が、

博士に気付かれました。

以前、山梨中央銀行の組合の運動会で

「甲州戦記サクライザー ショー」をやったことがあり、

その時に会っているそうです。

最近では、勝沼のぶどう祭りでも、

子どもたちと一緒に写真を撮っているそうです。

「サクライザー新聞」をお渡しすると、

喜んで頂けました。

* * * * * * *

馴染みの選手も少なくなりましたが、

会場に流れる曲などを耳にすると、

あの頃の記憶がよみがえります。

試合を観戦しながら、

友人と、あの頃の全日本プロレスを偲いました。

あの頃の全日本プロレスは、

旗揚げ当初から

「シリーズ制」「全国巡業」をモットーとしてきました。

新春ジャイアント・シリーズに始まって、

春のチャンピオンカーニバル、

夏のサマーアクション・シリーズから、

暮れの世界最強タッグまでの8シリーズです。

そして、それぞれのシリーズごとに、

それこそ北は稚内から南は鹿児島、沖縄まで、

全国津々浦々回っての試合日程が組まれました。

年間、実に150試合。

その間には移動日がありますから、

選手はまさに旅から旅の毎日。

しかも、試合が行われるのは大都市のホールだけではありません。

小さな町や村の体育館、

ときには青果市場やパチンコ店の駐車場などが

試合会場に早変わりすることもありました。

そして、どんなに小さな町で行われる試合にも、

馬場社長は選手として出場していました。

さらに自分の試合がないときには、

売店の真ん中にどっかと座ってファンへのサインに応じたり、

(もうすぐ試合なのに大丈夫なのかなぁと心配したり……)

体育館の通路の端から若手選手の試合ぶりをじっと見つめたり……

とにかく、会場に行きさえしたら、必ず馬場さんに会えた。

馬場さんはそのスタイルを一貫して崩すことはありませんでした。

馬場さんがいた頃の全日本プロレスの試合会場は、

楽しいムードに包まれていました。

子どもたちが走り回り、

お年寄りがお弁当を広げ、

プロレスファン達は拳を握りしめながらリングの上の熱戦に集中……

ブッチャーなどの悪役が出てきて場外乱闘を繰り広げれば一瞬、

会場全体に緊迫したムードになりますが、

しばらくするとそれもまた解ける。

緊張するもよし、せぬもよし、

そんな自由な空気がプロレス会場にはあふれていた。

馬場さんのプロレスの哲学は、

後に「王道」と称されるようになりますが、

それはスタイルを次々変えたり

派手な演出や衣装で目を奪ったりしない、

ということも含まれています。

驚くことに、

全日本プロレスでは長く「茶髪は禁止」だったそうです。

リングコスチュームも

よほどのキャラクターレスラー以外はシンプルなショートタイツ、

入場テーマ曲こそかかりますが、

花道やネオン照明などはありません。

アントニオ猪木率いる新日本プロレスが異種格闘技などを含めて

ファンの度肝を抜くような企画を次々と打ち出したときも、

馬場さんは「8シリーズ、全国150試合」のスタイルを淡々と続けました。

新人や若手にベテランが胸を貸す第一試合に始まって、

中盤でちょっとコミカルな試合がはさまり、

セミファイナル、メインイベントになると

馬場選手や花形外国人選手が登場……

全9~10試合の組み立て方もほぼ決まっており、

新人がいきなりメインに登場したり、

実力のない選手が大物外国人との一騎打ちに挑んだり

という“番狂わせ”は起きません。

善玉レスラーはあくまでフェアプレイで、

悪役レスラーはあくまで凶暴に。

とくに馬場さんが登場する試合では、

試合の流れから空手チョップに十六文キック、河津落とし、

といった決め技までがきっちり決まっていました。

全日本プロレスがここまで格を重んじ

型にはまり、

頑ななまでに同じスタイルを守り続けたのは、

馬場さんの意思によるところが大きかったようです。

一方でハラハラ、ドキドキさせながら、

もう一方で安心する。

この矛盾した感情を矛盾と感じることなく自然に体験できるのが

「王道」こと馬場プロレスの真骨頂でした。

すべてがめまぐるしいスピードで変わる世の中、

唯一、変わらないものがここにあった。

能やお茶などの伝統文化のように

難しいことを考えなくても、

誰でもが楽しめる気安さ、

敷居の低さもある。

馬場さんの全日本プロレスこそが、

昭和後半の不易の象徴でした。

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