部屋と豆まきとお相撲さん

先日の2月3日(土)は、

甲斐一宮浅間神社で、

毎年恒例の節分祭でした。

今年は、土曜日ということもあってか、

例年より人出が多かったです。

豆まきに先立って、

神事が行われます。

神事ですよ、神事。

おごそかな雰囲気の中で、

(やっぱり緊張します。

だって、席も名士たちに囲まれております)

神事は、歴史と伝統を感じさせてくれます。

毎年地元選出の国会議員が二人参加されていたのですが、

今年は、一人だけでした。

パワーバランスに変化があったのでしょうか。

神事に続いて、

いよいよ豆まきです。

社殿の外には、

大勢の人々が待ち構えています。

構えています。

構えています。

すごい迫力で待っています(笑)

撒くものは、

豆以外にも、

軍手やお菓子などいろいろ、

そして抽選券があります。

会場が、怖いほどエキサイトします(笑)

小さな子供も、

平気でぶっ飛ばされています。

こうして、

この地域の子どもは強くなります。

そうして…大きくなった子どもは、

今度は、

子どもをブッ飛ばしても平気になります。

たぶん。

もちろん、個人差はあると思いますが(笑)

この日のために、

肩をつくって来ました(笑)

そして、

節分と云えば……

”お相撲さん”(笑)

今年も。

中川部屋 東三段目三十六枚目 春日岫(かすがみね)さん

最高位 三段目 23
本名 古閑 和徳
生年月日 昭和59年10月27日(33歳)
出身地 大阪府藤井寺市
身長 体重 185センチ 176.5キロ
所属部屋 春日山 → 追手風 → 中川
改名歴 古閑 和徳 → 春日嶺 和徳 → 春日岫 和徳
初土俵 平成12年3月
生涯戦歴 357勝385敗/742出(107場所)
 三段目戦歴 164勝214敗/378出(54場所)
 序二段戦歴 172勝150敗/322出(46場所)
 序ノ口戦歴 21勝21敗/42出(6場所)
 前相撲戦歴 1場所

先月、自転車 SCHWINN2017モデルのビーチクルーザーを買ったようです。大きな車体は春日岫さんにぴったり。

http://www.schwinn-jpn.com/18bikes/cruiser.html

”なにかいる!!!”

春日岫さんは、

浅間神社の控室に居る時から、

サクライザーの気配に興味津々でした。

「サクライザー新聞」もプレゼントさせていただきました。

節分とお相撲さんと云えば、

2016年には、

お相撲さん(萬華城)による

こんなツイートもありました。

元 萬華城 博 (曹 博)(橋本 博)‏ @mankajo · 2016年2月3日

山梨県ご当地ヒーローのサクライザーと博士とパチリ(///ω///)♪山梨ではメチャメチャ人気(笑)

豆まきで御一緒させて頂いた【萬華城】さん。1990年2月10日生、2005年春場所初土俵、182cm、202kg。一時は220kgを超えていた、現役でも屈指の重量力士。両親は中国出身、四股名は実家の中華料理店から。実家の店を春日山部屋の関取が訪れたことがきっかけで、相撲に興味を。

だがしかし、

この後、

「春日山部屋」そして、【萬華城】さんに待ち受けていた試練を、

博士が知る由もなかった。

それが、「名跡継承騒動」。

10月12日に日本相撲協会は、

  • 21代春日山が20代春日山から正式に年寄名跡証書を譲渡されていないこと。
  • 同年9月場所中において21代春日山は稽古場に来て指導した日が1日もなかったこと

の2点をもって、力士指導の面において21代春日山が部屋の師匠には不適格であると判断、21代春日山に対して春日山部屋の師匠を辞任するように勧告した。21代春日山はこの時点での回答を保留し、協会は1週間後の10月19日午前10時までに回答するように通告した

師匠辞任勧告を受けて、10月17日には春日山部屋が立地する川崎市の福田紀彦市長や春日山部屋の後援会らが日本相撲協会に対して部屋の存続を要請する要望書を提出し、翌18日には春日山部屋の所属力士である幕下・水口と幕下・萬華城(まんかじょう)が21代春日山への師匠辞任勧告の撤回を求めて川崎市内で会見を開き、同時に春日山部屋の所属力士23人中11人が辞任勧告撤回の嘆願書を日本相撲協会へ提出したことが明らかとなった。しかし、当初の辞任勧告が撤回されることはなく、19日午前に21代春日山は師匠辞任勧告を受諾することを表明した。これに伴い、春日山部屋は閉鎖されることが決定し、同日付で21代春日山と春日山部屋の部屋付き親方である13代高島および力士23人・世話人1人・行司1人・呼出1人・床山2人は、部屋の次期師匠が新たに就任するまでの間の一時預かりという形で、同じ伊勢ヶ濱一門で21代春日山が現役時代に所属していた追手風部屋へ移籍することが決定した。同時に21代春日山の年寄名跡証書の所有問題に関しては、日本相撲協会側は証書の未所有状況であることに変わりはないと認定したものの、裁判の決着まで結論を猶予する意向を示した

ただし、21代春日山の師匠辞任が急遽決定したために、埼玉県草加市にある追手風部屋の部屋施設では受け入れ態勢が困難であるという理由から、暫定的な措置として、20代春日山が所有するかつての春日山部屋の部屋施設で所属力士を指導することが認められ、19日の内に春日山部屋一同が川崎市川崎区の池上新町から大師河原へと再び移転した。追手風部屋からは、部屋付き親方である15代中川(元幕内・旭里)が川崎へ移住した上で師匠代行として力士を指導することとなった

また、同日中に所属力士23人中12人が日本相撲協会へ引退届を提出したものの、翌20日に日本相撲協会は12人の引退届を即座には受理せず保留とし、事情を説明した上で改めて各人の意思を確認する意向を示した。その後、同年10月27日までに日本相撲協会において危機管理部長を務める8代鏡山(元関脇・多賀竜)が前述の12人に対して電話で意思の確認を行ったところ、そのうち数人が引退を翻意する意向を示したことから、同年10月27日に日本相撲協会は改めて特例として12人の引退届の受理を同年11月場所後の番付編成会議まで見送ることを決定した。これを受けて、同年11月場所における番付では引退届を提出した12人も追手風部屋の所属として記載されたものの、12人全員が本場所には出場せずに全休し、結局は誰も引退の撤回を表明することなく、同年11月場所終了後の同年11月30日に日本相撲協会は12人全員の引退を正式に発表した。同年12月23日には川崎市内のホテルにて、同年11月30日付で引退した12人にそれとは別に引退の意向を表明した2人を加えての所属力士14人の合同断髪式が行われた

21代春日山の師匠辞任問題に関連して、2016年11月20日に日本相撲協会は同年12月26日に行われる年寄総会において全ての年寄と人材育成業務の委託契約を締結し直し、当日に年寄名跡証書の預かり証を提出しない年寄は日本相撲協会を退職させることを決定した。21代春日山が20代春日山を提訴した民事訴訟の控訴審は同年11月1日から東京高等裁判所にて開始され、以降も断続的に両者の和解に向けての協議が行われたものの、和解条件の金額などに差があることで同年12月26日までの和解成立に至らず、証書の預かり証を期限内に提出することが不可能となってしまった。日本相撲協会は当初は期限について猶予を与えない方針だったが、26日に次回の和解協議まで預かり証の提出を猶予することを決定し、21代春日山は同日までに提出できなかった場合は協会を自主的に退職する意向を表明した。その後、2017年1月場所9日目となる2017年1月16日に、東京高裁において21代春日山と20代春日山との和解協議が行われたものの、そこでも両者の和解は成立せずに和解協議は決裂し、21代春日山は年寄名跡証書を正式に取得する見込みが立たなくなったことを理由として、同日付で日本相撲協会を退職した。控訴審は両者の和解協議が決裂した後も継続し、同年2月20日に21代春日山は20代春日山に対して年寄名跡証書の引き渡しを求めず、20代春日山も21代春日山に対して年寄名跡証書の対価を要求しないとして、東京高裁にて双方が請求を取り下げる形で和解が成立したが、その直後の3月9日に20代春日山は急逝した。

中川部屋独立へ

2017年1月26日に日本相撲協会は春日山部屋から追手風部屋への一時預かりとして移籍して現役を続行していた力士9人および世話人1人・行司1人・呼出1人・床山2人を率いる形で、15代中川が追手風部屋から分家独立することを承認した。分家独立に際しては年寄名跡・春日山への名跡変更は行わず、部屋名はそのまま中川部屋となり、2016年12月に15代中川が伊勢ヶ濱一門から時津風一門へ移籍したことに伴い、中川部屋は時津風一門の所属となった

中川部屋のちゃんこ鍋は、旧春日山部屋の引き継いでいる可能性があり、その場合は塩ちゃんこ鍋が有名になると考えられます。相撲部屋が川崎市内にあるのは中川部屋だけで、春日山部屋時代には同じ川崎市内を拠点としているサッカーチームに川崎フロンターレがあり、その本拠地でこのちゃんこ鍋を一般に振る舞っていたこともあります。

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