8/25(土)・8/26(日)は、
「auショップアリオ北砂 ヒーロー祭り」
が開催されました。<東京都江東区>
「ミヤマ仮面&クワガタ忍者ショー」(25日)
MCは、元バクステ外神田一丁目の垣原綾乃さん
↑ は、博士のブログの中でも人気で、
いまだに、毎日二桁以上の方に読まれています。
最後はみんなでー! クワガタのポーズっ!!!
『アリオ北砂店さんでのイベントショー、無事に終了いたしました! とっても楽しかったー!
サクライザーさんの皆様にもお久しぶりにお会い出来て嬉しかったです
明日のアリオ北砂店さんはサクライザーさんのショーですよ!! 絶対楽しいのでぜひ明日も北砂店さんに来てくださいね
』
そんな垣原綾乃さんですが、
今後ライブ配信SNSアプリ「17Live」にて認証ライバーとしてライブ配信をしていく予定だそうです。
いろいろな人に、
「ミヤマ(垣原)さんは元気になったのか?」と聞かれました。
そこで、ミヤマ(垣原)さんの近況次の通りです。
「カッキーライド」が、
8月14日に後楽園ホールで開催されました。
もともとこの大会は、
血液のがんである悪性リンパ腫で闘病中の“カッキー”こと垣原賢人を激励すべく、
’15年にUWF時代の仲間が「カッキーエイド」として開催したもの。
昨年からは「カッキーライド」と名称を変えて行われ、
今回は第3回大会である。
いずれも’80年代末から’90年代前半に一世を風靡した、
UWFやUWFインターナショナルを中心とした選手が集まり、
UWFルールの試合を披露。
客席にはかつての”U信者”たちが大勢詰めかけた。
メインイベントの、
UWFルールで行われる垣原賢人の復帰戦の相手は、
今年デビュー30周年を迎えながら、
今も現役バリバリで世界のトップで闘い続ける鈴木みのるだった。
4歳年上の恐ろしい先輩だった。
垣原にとって鈴木みのるは、
特別な存在であり、一番苦手な相手でもある。
いまの垣原にとって、鈴木みのるはあまりにも強大すぎる相手だ。
悪性リンパ腫発症後、
垣原は抗がん剤の影響で、約90kgあった体重が60kg近くにまで激減。
現役引退後も保ち続けていた美しいマッチョな身体は「まるでおじいさんのように」(垣原談)なってしまった。
それでも厳しい食事療法を含めた治療に取り組み、
少しずつ身体も鍛え直し、
’15年の「カッキーエイド」ではリング上から挨拶するのがやっとだったのが、
昨年の「カッキーライド」では、藤原喜明を相手に“復帰戦”を行えるまでになった。
その直後、博士は垣原さんに、その時の話を聞いている。
ただ、その時は打撃を禁じた寝技だけの「スパーリングマッチ」であり、
本格的な試合は今回が7年ぶり。
本来、リングで試合ができるようになったことだけで奇跡であり、
現役トップの鈴木と、メインイベントで闘うのはあまりにも無謀だ。
それでも垣原がこの試合を決断したのは、
がんという人生最大の敵に立ち向かう姿勢をリングで見せようとしたこと。
そして、それによって頚髄完全損傷の重傷で首から下が動かない中、
懸命のリハビリを続けるUWFインター時代の後輩、高山善廣に少しでも力を与えたいと思ったからだ。
垣原は、ゴングと同時にかつての代名詞でもあった掌底の速射砲と鋭い蹴りでラッシュを仕掛けるが、
鈴木はガードを固めてこれを冷静に凌ぐと、
掌底にタックルを合わせて懐に飛び込み、
あっという間にバック奪う。
そして、そのまま一気にチョークスリーパーで絞め落とし、
レフェリーストップ。
わずか1分50秒、
文字通りの秒殺。
鈴木の圧倒的な力の差を見せつけての完勝だった。
「垣原、鍛えて出直してこい!」
試合後、リングに横たわる垣原に対し、鈴木はマイクを握った。
「おい垣原、『俺は克服しました、だから高山に力を与える』? その程度でかよ? その程度で何を与えるんだよ! それがお前のすべてか? お前の大好きなUWFはお前の一部であって、お前のすべてではないはずだ。そうだろ? プロレスにはこんな方法もあるんだよ!」
そう言い終えた直後、
鈴木は垣原を蹴り上げ場外に叩き落とすと、
容赦ないイス攻撃を連発。
’03年に新日本プロレスの「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」でも優勝している垣原に対し、
今度はUWFスタイルではなく、
“プロレス”でさらに痛めつけていった。
そしてリングに引きずりあげ、
スリーパーから必殺のゴッチ式パイルドライバーの体勢に持ち上げると、
脳天をマットに叩きつけることなく技を解き、マイクを要求。
「おい、垣原! この続きはとっておいてやる。もっと身体を鍛えて出直してこい!」
そう言い放ち、勝ち名乗りも受けることなく去っていった。
これこそが、鈴木流のエールの送り方だった。
この日の垣原のコンディションは素晴らしいものがあった。
一時期、あれだけやせ細っていた身体には、
しっかりと筋肉の鎧が身につけられ、
掌底や蹴りの鋭さも、現役時代に劣らぬものだった。
がん患者がここまでの闘うコンディションを作り上げるには、並大抵の努力ではなかっただろう。
ただし、悪性リンパ腫は完治が難しいことで知られる難病。いまは快方に向かっているが、いつまた病魔が襲ってくるかわからず、その闘いはこれからも続く。
それだけに「リング復帰だけで満足するな。俺を本気にさせるところまで上がってこい」、鈴木のそんな思いがこめられた、手荒いエールに感じられた。
ボロボロにされながらも、最後はマイクを握り、こう叫んだのだ。
「情けない姿を見せてしまいましたけど、鈴木みのるに勝つまで諦めません! だから! 高山も、このトップロープをまたぐことを諦めるな! みなさん応援してください! 行くぞー、ノー・フィアー!」