湖衣姫コンテスト

「湖衣姫コンテスト」応援にお越しの皆様へ。

日中は暖かい陽気ですが、

夜は冷えます。

17:00スタートで、

結果発表の19:00頃には

かなり寒いので、暖かい恰好でお越し下さい。

* * * * * * *

「湖衣姫コンテスト」は、今年の「信玄公祭り」の一番の見所です。

(博士の個人的な見解)

郷土愛が燃える、

4月5日の甲府駅北口よっちゃばれ広場のファイナリストの皆さんの熱い戦いを応援しよう。

今年は、客席にも注目だ!?(笑)

第48 回信玄公祭り前夜祭として開催される

第16 回湖衣姫コンテストは

武田信玄公の側室であり、

武田勝頼の生母である湖衣姫(諏訪御料人)になぞらえ、グランプリを決定するコンテストです。
グランプリ1名、準グランプリ2名は翌日の「甲州軍団出陣」にて「湖衣姫隊」として出陣し、

その年の1 年間、山梨県の観光大使として活動することになります。

画像に含まれている可能性があるもの:6人、、スマイル、テキスト

ゲストLIVE!もあります。
THEカラオケ★バトルで準優勝した今話題のR&Bシンガー「KIMIKA」が来ます。レディー・ガガを一瞬にして泣かせてしまった映像を記憶されている方もいると思います。彼女のお父ちゃんも東京から来るそうですw

荊沢 サラ からの報告

この度第16回湖衣姫コンテストにて書類審査、2次審査を無事に通過し、ファイナリストになることができました! めちゃ嬉しい〜 信玄公祭りの前夜祭、4月5日に甲府駅北口よっちゃばれ広場にて最終審査が行われます! 応援しに来てくださると嬉しいです よろしくお願いします

邪鬼礼威子@4/5湖衣姫コンテスト! からのメッセージ

湖衣姫コンテストのファイナリストに荊沢さらが選ばれたゆえ、4月5日(金)は甲府駅北口で行われる第16回湖衣姫コンテストに応援にいくぞー!そして、その結果で翌日の信玄公祭りに行くか行かないかを決める! 皆の者!金曜日、甲府駅北口で会おう!

現代の湖衣姫に託された使命

湖衣姫(諏訪御料人)とは

諏訪御料人の生年は確実な史料からは判明しないが、『甲陽軍鑑』に拠れば諏訪御料人が信玄に輿入れしたのは天文14年に14歳の時とされており、これに従えば享録2年(1530年)生まれとなる。『甲陽軍鑑』では、諏訪御料人を「かくれなきびじん」と記しており、容貌を讃えている

父の頼重が諏訪氏当主であったころ、諏訪氏と甲斐守護の武田氏は同盟関係にあり、頼重正室には武田信虎の娘禰々御料人が迎えられていた。天文10年(1541年)6月に信虎は嫡男晴信(信玄)により追放される政変が発生する。同年7月、関東管領上杉憲政が小県郡へ侵攻すると、頼重は上杉氏と和睦・領土分割を行い、晴信はこれを盟約違反と捉え、翌天文11年6月には諏訪氏との同盟を破棄し、諏訪へ侵攻する。

武田氏により諏訪地方は制圧され、父の頼重は同年7月22日に甲斐国・甲府の東光寺において死去する。信玄は当初、諏訪家惣領に頼重と禰々御料人の子である千代宮丸を擁立したが、やがてこれを破棄し、自らが頼重の娘を側室に迎え、生まれた男子に諏訪惣領家を継承させる路線を選択したという

諏訪御料人が甲斐へ輿入れした時期は、天文12年(1543年)説、天文14年(1545年)説がある。天文12年説は、『高白斎記』天文12年12月15日条に「禰津より御前様」が輿入れしたと記されている記述を、諏訪御料人の輿入れと解釈したものである。この説は根拠が不詳で、武田系図に拠れば禰津元直の娘が信玄の側室として嫁していることから、「禰津より御前様」を諏訪御料人に比定することには慎重視する説もある

建福寺

一方、天文14年説は『甲陽軍鑑』に拠るもので、諏訪御料人は天文14年・14歳のときに信玄の側室となり、甲府の躑躅ヶ崎館に迎えられたという。『甲陽軍鑑』『武田源氏一統系図』によれば、天文15年(1546年)には勝頼が産まれている[2]。『甲陽軍鑑』に拠れば、頼重の娘である諏訪御料人を迎えることには武田家中に反対論があったと言われ、山本勘助が家中を説得したとする逸話を記している。

諏訪御料人は弘治元年11月6日に死去する。没年は天文23年(1554年)とも。墓所は長野県伊那市高遠町の建福寺(当時は乾福寺と称した)。『鉄山集』によれば、法名は「乾福寺殿梅巌妙香大禅定尼」。なお、長野県岡谷市小坂観音院にある墓は、戦後に井上靖の小説『風林火山』で由布姫(諏訪御料人)が過ごしそこで死去したという設定により、現代になってから建てられた物である。

『武田御日坏帳三番』によれば、永禄12年(1569年)7月13日には、勝頼が高野山成慶院に位牌を奉納している。また、『鉄山集』『仏眼禅師語録』によれば、勝頼は元亀2年(1571年)11月1日に、高遠において鉄山宗純を招いて十七回忌の法要を実施している

なお、晴信の側室になるにあたり敵将の娘では都合が悪いため、禰津元直の養女になったとの説がある。そのため禰津御寮人と同一人物ではないかとの説がある。

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