古代「女帝伝説」 早川町・奈良田の秋

早川町・奈良田の山々は、

落葉樹が多いので紅葉は最高です。

山葡萄、うるし、カツの木、楓、山もみじ、錦木、七釜戸等の朱と、

桂、級ノ木、ぶな、楢、

それに落葉松等の黄の織り成す彩りの競演は、

深まる空の青さと共に奈良田湖に映える。

この湖底に、

かつての奈良田の集落が沈んでいる。

この季節なると、

宿の主人が鉄砲の手入れ始めるらしい。

甲斐犬の訓練も怠り無い。

間近にせまった狩猟解禁を待ちわびているのだ。

獲れた獲物は、

客に提供するのだと言う。

熊、猪、鹿、山鳥等々。

これから寒くなると、山の恵みの鍋が美味い

早川町・奈良田は、

武田氏の時代、甲斐の国でただ一村「無高」(無税)だった。

これは、歴史家の間でも謎であった。

一般的には焼畑をしなければならないほど貧しかったためだと考えられていますが、

武田信玄直属の隠密(忍者)村だったのではという説があります。

早川町・奈良田が、武田信玄直属の隠密(忍者)村というのは、

山越えの尾根道(間道)にも精通し、

曲物や下駄等の行商人を装い、

全国の諜報活動にあたったのであろう。

甲州弁とは違う独特な関西弁のアクセントの方言が、

他国に行っても甲斐武田の者とはわからず都合が良かった。

奈良田の方言は、

早川町内でも奈良田のみで使われ、

ここでしか使われない単語が沢山ある。

武田信玄直属の隠密村説を裏付ける話もある。

昭和30年頃、

ダム建設のため奈良田村が全戸移転する時、

あちこちの家の天井裏から刀やら短刀、仕込み杖が見つかり

大騒ぎになった。

早川町は、96%が森林に覆われた深山幽谷の地。

南アルプスの山々によって周囲と隔絶された「辺境の里」に、

古代の女帝が数年にわたり移り住んだ伝説が残る。

第46代孝謙天皇

奈良の都の権力闘争を勝ち抜き、

いったん退位した後も第48代称徳天皇として再び即位した。

古代有数の女帝がなぜ?

早川町の西山温泉・慶雲館に758年、

孝謙天皇が湯治に訪れ、

20日間、湯につかって全快したという。

伝承によると、

退位して吉野で伏せっていた孝謙天皇の夢枕に、

白ひげのおきなが立ち

「甲斐の国、白鳳の深山に、諸病に効ある霊泉あり」と告げた。

孝謙天皇は70~80人のお供を連れて山梨の慶雲館にたどり着いた。

慶雲館は705年(慶雲2年)に創業した日本最古の旅館。

この地に流れてきた藤原真人(藤原鎌足の長男)により温泉が発見され、

創建されたという。

ギネスブックから「世界最古の旅館・ホテル」に認定された。

伝承によると、

霊泉を求めて険しい山道を進んだ孝謙天皇は、

「おお、奈良の都は七条なるが、この地は七段。ここも真に奈良だ」と驚く。

この地を気に入り、

集落の最上部に御殿を建て数年遷居。

以来、一帯は「奈良田」と呼ばれ、

地元の人々は女帝を「奈良王様」と呼んで敬愛したという。

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