先日の あさイチ で紹介された
泰樹さんの言葉
「一番悪いのは人がなんとかしてくれると思って生きることじゃ。
人は人を当てにする者を助けたりはせん。
逆に自分の力を信じていればきっと誰かが助けてくれるもんじゃ」
泰樹さんの言葉は押し付けがましくないって、高畑さんの言葉。
最終回の直前でのやりとり
「なっちゃん って呼んでもいいかい?」
「当たり前だべさ やっちゃん」
この期に及んで、まだこれか!(笑)
いいんです。
このドラマは、
人類なっちゃん呼び化計画だから。
ここまで来ると、
番組名は、『なつぞら』ではなく、『なっちゃん』でも良かったのでは……
さて、嵐です。
「泰樹さんは、もう90だし休ませてやりなさいよ。
意見なんて求めなくていいんだよ。牧場を任せるって言ってるんだから。」
という意見もありましたが、
なんのなんの、
ピンチの時ほど、高齢者の存在価値が発揮される時です。
身体が、知識や経験を覚えている。
この嵐という緊急事態こそ、
泰樹が最期の力で照男に本当の意味でこの牧場を託す儀式だったに他ならない。
不測事態・非常事態に陥った時に、一番先にすべき大事なことは何か?命を救うために、何をしなくてはならないか?災害の国に生きるための備えと心の準備も必要
「大事なのは働くことでも稼ぐことでもない、牛と共に生きることじゃ」
原点を失わなければ、
再生する力を人間は持っている。
目先の利益にとらわれているとそれが見えづらくなる。
この先、どんな想定外の危機が訪れても、
この原点さえ忘れなければ、
何度でも乗り越えることができる。
そのことを泰樹さんは託したかったのではないだろうか。
そして「よくやった」という労いは、
子供の頃からどうしても二番手な気がしていた照男のこの先の支えになるよね。
電気にばかり頼っていたらイカン!
そんなことを、あらためて思い知らされるような展開。
まるで、千葉を予見していたかのような。
さて、
『なつぞら』の主人公のモデルと非公式に言われている、
奥山玲子は、
そうとう苛烈な女性だったようである。
日本アニメの黎明期の作品に深く関り、
宮崎駿や高畑勲にも影響を与えていたにもかかわらず、
その苛烈さゆえに、
NHK往年の名番組『プロジェクトX』も取り上げることはなかった。
『日本のアニメーションを築いた人々』によれば、
彼女は『なつぞら』のような戦災孤児ではなく、
仙台市の伊達藩国家老の血を引く名家に生まれた令嬢だった。
小学生で坪内逍遥訳の世界文学全集を読破するほど早熟な文学少女で、
成績優秀者の総代として卒業証書を受けながら、
小学生で迎えた敗戦に衝撃を受ける。
ミッションスクールに通う中高生時代に始まった朝鮮戦争はさらに思春期の彼女を大人に対する怒りで燃え上がらせた。
敬虔なクリスチャンが通う女子高の中で、
彼女は「神がいるならなぜ戦争が起きたのか」と教師を問い詰め、
「第二次大戦が始まった時、20歳以上だった大人は全員が戦争犯罪者だ」と食ってかかった。
フェミニズムという言葉さえない時代に
ラディカルフェミニストのように荒れ狂う女子高生奥山玲子は
東北大学に入る前の高校時代からカミュやサルトルの実存主義に心酔し、
「私はボーヴォワールのようになりたい」と願う女子高生だった。
その後、彼女は東北大学を中退して上京し、
東映動画で猛烈な闘争に身を投じていく。
日本のテレビドラマでほとんど描かれたことがないほどラディカルな戦う女の生涯を描くことは、
朝ドラでは不可能なので、
戦災孤児やら北海道の開拓という話へと変貌してゆく。
現実の奥山玲子はコップを握り割って荒れ狂う年長の男性演出家に
「監督なら黙って責任を取れ」と男言葉で言ってのけるような女性だった。
夫の小田部羊一氏によれば、
彼女は女言葉どころか敬語すら使わずよく男性演出家と激論したという。
『なつぞら』が東映動画の激烈な組合闘争を矮小化した、
奥山玲子の激しい生涯を薄めたという批判もあるが、
『なつぞら』は奥山玲子の生涯を「薄めた」その分だけ、
大衆という巨大な分母に向けて、奥山玲子の名を広めた。
奥山玲子の名を、今は多くの人が知るきっかけになった意義は大きい。