釜石 感動を残したカナダ代表チーム

20世紀のフランス文学の代表的な小説『嘔吐』。

世界中で読まれた作品に、

なぜか「釜石」が登場する。

かの地を、作者のジャン・ポール・サルトルは、

一度も訪れたことはない。

書いたワケは、

カマイシという響きが美しいと感じたからだった。

そして、世界へ「カマイシ」を発信する好機がやってきた。

ラグビーワールドカップ(W杯)だ。

東日本大震災の被災地では唯一、

岩手県釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムで熱戦が繰り広げられる。

復興スタジアムは、

大津波で全壊した旧鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地を

5メートルかさ上げして造られた。

あの3月11日、

両校に在学中の児童、生徒は、

いち早く高台へと避難し、

全員無事だった。

しかし、欠席していた3人が亡くなり、

避難所の鵜住居地区防災センターでは、

160人超の住民が犠牲となった。

遺族らは、

津波から命を守ろうと

「あなたも逃げて」

と刻んだ石碑を復興スタジアムに建立。

W杯などを通し、

世界に教訓を伝えようと英文の説明文も設置している。

防災・減災の必要性が世界に広がり、つながっていくきっかけを目指した。

ところが、

10月13日、

釜石鵜住居復興スタジアムで予定された

ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会は、

同日に予定されていたB組最終戦のカナダ―ナミビア戦が、

台風19号の影響により中止に。

試合は0-0の引き分け扱いとなり、

両国に勝ち点2が与えられた結果、

カナダは戦わずして無念の最下位が決まったが、

選手たちは釜石に残ってボランティアに参加。

実際の様子を大会が画像付きで公開し、

「感動して泣きそうです」

「この恩は忘れません!」

「このチーム本当に尊敬するし素晴らしい」

と感謝と絶賛の嵐となっている。

日本のためにカナダが動いた。

今大会最終戦は戦わずして終えるという無念の結果となったが、

選手たちの姿は釜石の街中にあった。

市民の応援やもてなしに対する感謝を示したいと、

試合に出場予定だった選手やコーチなど17人が、

台風で被災した釜石市の市街地で土砂を片づける清掃ボランティアに参加しました。

市街地は一時、冠水したため、

住宅の前には土砂やがれきがたまっていましたが、

代表メンバーたちは、地元の住民と一緒にスコップやブラシを使ってかき集め、

用意した次々と袋に詰めていきました。

大会公式ツイッターは実際の様子を画像、動画で紹介。

「台風19号の影響で、本日の試合が中止となったカナダ代表 そのまま釜石の街に残り、ボランティア活動を行いました」

「カナダ代表の誠意と思いやり溢れる行動に心から感謝します」とつづった。

選手たちにとって試合が中止になった思いはあったはず。

にも関わらず、優しい行動に対し、日本人ファンも感激している。

<釜石の奇跡>

平成23年3月11日。午後2時46分に東日本大震災が発生すると、釜石東中の副校長は教室から校庭に出始めた生徒たちに、「(避難所へ)走れ!」「点呼など取らなくていいから」と大声で叫んだ。

そして若い教職員に、率先避難者となって生徒たちと避難所へ走るよう指示。避難所は約700メートル南西の福祉施設で、所在地は訓練で全生徒に周知していた。

当初、一部の生徒は走らず、校庭に整列しようとしたが、副校長らは懸命に「逃げろ」「走れ」と指示。そのため全員が校門を出て、避難所へと駆けだした。 一方、鵜住居小は耐震補強が終わったばかりの鉄筋コンクリート造り3階建ての校舎で、雪も降っていたことから、当初は児童を3階に集めようとしていた。しかし、「津波が来るぞ」と叫びながら走っていく中学生らを見て、教職員は避難所行きを即断。小学生も一斉に高台へ走り出した。

このとき、鵜住居小には保護者数人が児童を引き取りに来ていた。教職員は児童を避難させたことを説明し、一緒に避難することを勧めたが、1人は児童をつれて帰宅し、津波の犠牲になってしまったという。

避難した小中学生約600人は、標高約10メートルの福祉施設に到着したが、裏手の崖が崩れそうになっていたため、中学生らがもっと高台への移動を提案。さらに約400メートル離れた標高30メートルの介護施設へ、小学生の手を引きながら避難した。

この直後、津波遡上高は20メートルに達し、福祉施設は水没。「津波てんでんこ」の教訓と、防災意識の高い中学生の冷静な状況判断が、多くの命を間一髪で見事に救う結果となった。

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