信玄堤 治山治水は政治の要諦

今回の台風19号は、

全国各地に大きな傷跡を残しました。

被災された皆様にお見舞い申し上げます。

ツイッターには、

水害の状況と共に、

八ッ場ダムなどの公共事業に対する感謝の言葉があふれた。

『今回、東京が水没せずに助かったのは、利根川水系の大型ダム群の治水と埼玉の地下神殿の大量貯水、なにより、完成間もないまだテスト段階だった八ッ場ダムがぶっつけ本番で満水フル稼働してくれた、など先人たちの知恵と蓄積によるものだと聞いています。おかげで助かりましたありがとうございます。』

『10月1日に出来たばかりの八ッ場ダム。

2.3ヶ月かけて満水にする予定だったのが、今回の台風で満水に。

どれだけの役目を果たしてくれたか、分かりません。ありがとう』

『八ッ場ダムの貯水量凄い。コレがなければコレだけの水量が首都圏直撃してたかと思うと震えが来る。

総貯水容量: 107,500,000 m³』

『八ツ場ダム、「建造が進んでいたが政治的理由により中断され、やっと再開し試験にこぎつけたと思ったらテストもそこそこにいきなり実戦に投入される」と書くと非常にガンダム感ある』

防災意識の高まりを背景としたものだが、

前政権に対する政治的意図も感じるものもあった。

八ッ場ダムの果たした役割は、

本当に皆が云うような美談なのかは、

今後の検証が待たれます。

ちなみに、

16日の参院予算委員会で、

質問に立った自民党の松山政司参院政審会長は八ツ場ダムが今回果たした効果を政府に確認。赤羽一嘉国土交通相は八ツ場ダムを含めた上流のダム群が機能して洪水を回避できたとし、「住民の安全な暮らしに大きく寄与する」と述べた。

松山氏はわが意を得たりとばかりに「インフラ整備はキャッチフレーズだけで語るものではなく、着実に計画的に実施することが極めて重要だ」と語り、安倍晋三首相にも答弁を求めた。

首相は「大変な財政的負担もあったが、後世の人たちの命を救うことにもなる。緊張感の中で正しい判断をしていくことが大切だ」と語った。

これに対し、国民民主党の玉木雄一郎代表は記者会見で、「大型公共事業をやめようとマニフェスト(政権公約)に書き政権を取ったが、検証の結果、八ツ場ダムの必要性を認めて(事業を)再開したのも旧民主党政権だ」と反論した。

八ッ場ダムが話題になる中、

”山梨には信玄堤がある!”

”おやかたさま~~!!”

信玄堤への関心が高まった。

博士も、

「信玄堤は生きている。今も、甲斐の民を守っていた。

改めて、時代が変わっても、「政治の要諦」とは「治山治水」であることを思い出させてくれた。」とツイート。

平山さんからイイねをもらった。嬉しい。

足首で浸かるタイプの泥沼

ワイ山梨県民。ちょっと自慢させてください。昨日山梨県のいろんなとこで特別警報出てたんですよ。 でもね!!! 信玄堤があった所だけ特別警報が出てなかったんですよ もう…本当信玄公偉大すぎて朝から山梨県民が信玄公に感謝してるツイートやLINEの投稿が多いこと多いこと(//∇//)

そしてそして、その信玄堤は見事に甲府や周囲の地域を守りきり今なお健在です!!!素晴らしい!!!

もちろん、

信玄堤と特別警報は因果関係はない。

だが、

このツイートを受け、

K・HIRAYAMA

今から15年ほど前、国交省甲府土木事務所の仕事で、信玄堤調査プロジェクトに参加。その時、旧竜王村(信玄堤直下)の古老たちに話を聞いたことがある。彼らは、かの昭和34年8月台風による大水害、9月の伊勢湾台風を経験。ともに、信玄堤はびくともしなかったと誇らしげに体験談を語ってくれた。

昭和34年は、山梨県にとって、明治40年の大水害以来の惨事となった年。8月の台風7号、9月の伊勢湾台風は古老たちの記憶に刻まれている。竜王村の皆さんは、信玄堤が切れるのではないかと、不安だったそう。釜無川は水量が増し、遂に川幅いっぱいになったそうな。

竜王村の皆さんは、まずい、逃げようと思った。なんと、信玄堤の天端に、川の水しぶきが上がってるのが見える。決壊は時間の問題、と誰もが思った。だが信玄堤は遂に決壊することなく、後世に築かれた堤防が切れたそうな。信玄堤が切れたら、竜王はいうまでもなく、甲府盆地の主要部は壊滅の恐れが

あった。だが信玄堤はもちこたえた。そして今回も。凄いの一言。ここで、一つのお話をご披露します。武田氏滅亡後、江戸時代の初めに、江戸幕府に命じられて、信玄堤の補強工事を担当した人物の一人に、かの真田隠岐守信尹がいる。彼の尽力で、信玄堤は強化されたのだ。その記憶は、竜王村に伝承され、

竜王村の記録に登場する。真田信尹は、甲州を守ってくれていたんですよ。墓所は北杜市の龍岸寺にあります。みんなで、お参りにいきましょう!真田隠岐守信尹、叔父上、そしてあの方の顔が思い浮かびます。

ここでも、真田、キタ~!!(笑)

歴史ファンは、嬉しい。

そして、

ネット上で話題になったことを受け、

13日付山梨日日新聞では、

信玄堤が水害から守った

台風19号の通行から一夜明けた13日「ツイッター」で、戦国武将の武田信玄が築いたとされる堤防「信玄堤」(甲斐市)に関する投稿が相次ぎ、「甲府盆地を水害から守った」などと称賛する書き込みが目立った。

信玄堤は御勅使川と釜無川の合流地点に、武田信玄が築いたとされる堤防。甲府方面に向かっていた釜無川の流れを変え、洪水被害を防いできた。明治期に一度破損したが他に決壊の記録はなく、450年以上にわたり”現役”だ。戦国時代から近世の堤防に詳しい帝京大文化財研究所の畑大介客員教授は「信玄堤は歴史的に見て、丁寧に厳重な工事をされてきた」と話す。

今回の台風で甲府市や甲斐市で大雨の特別警報は発令されておらず、甲府河川国道事務所の金子隆信副所長は「今回は県南部の雨量が非常に多く、富士川は避難判断水位を超えたが、釜無川の水位はそこまで上昇しなかった」と説明。ネット上の書き込みには否定的な見方を示したが、「信玄堤が甲府盆地を守っているのは確か。今も昔も変わらない」と話した。

この話は、FM甲府の番組内でも紹介させていただいた。

ちなみに、

山梨の水害と云えば、

明治40年大水害 と 集団移住 と 蝦夷富士

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